133.「人生生涯小僧のこころ―大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界」を読んで [読書感想文]
(年間100冊の進捗 100冊/365日×120日目(4月30日)ー33冊目=+0.123冊)#mhks(本)
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○行とは
・行とは行じるものではなく「行じさせていただくもの」、そして人生とは生きるものではなく「生かされているもの」だという感謝の気持ちでございます。(P33)
・その場所にしか咲いていない悟りの花みたいなものを見て、「なるほど、これが答えだったのか」と気づいて帰ってくることなのではないかと。
そしてさらに大切なのは、そこで見てきた花の姿かたちを皆さんにお伝えさせていただくということです。(中略)ただ、その一点にのみ、行の意味があるのではないかと思います。行とは決して苦しむためにするのではありません。(P37)
☆本を読むのも、最初は自分のスキルを伸ばすためと始めました。
しかし、良い本を読んだ時の感動や気づきを伝えることが出来ればいいな、と最近少し思うようになりました。
ということは、本を読むのも修行ですね。
・「行を終えたら行を捨てよ」
・行というものは一切のご利益的な考えがあってはならないのです。たとえば、行をしたからこうなりたいとか、他と比較して損得勘定をしたりとか、少しでもそのような心があってはいけないのです。(P74)
☆「これだけ苦労したのだから、なんか良いことある」とついつい考えてしまいます。
日常生活も「行」と考えれば、苦労が終われば、その苦労を忘れなさい。そして日々新しい苦労に向かいなさいということなんですね。人間の「おごり」の気持ちを戒める言葉です。
・お山に行って何も気づかず悟らず帰ってくるのは、宝の山に入って何も持って帰ってこないのと一緒です。(P166)
☆日常生活でも、気づきはいっぱい。
一日をどう過ごすかを考えさせられます。
○千日回峰行の満行前日の日誌には・・・
・九百九十九日目、今の心が今までで一番いいなあ。この心がずっと変わらないといいなあ。体が言うことをきくなら、ずっと歩いていたい。もしこの体に限界がないなら、今の心のまま永遠に行が続いてほしい。人生生涯小僧でありたい。(P182)
☆おだやかな気持ちが伝わってきます。
こんな気持ちのまま、もし死ねたら・・・。
しかし、行は「生きる為」におこなうもの、たった一瞬の「悟り」を得続けるために苦しい修行を重ねることなんでしょうね。
なぜなら、これほど修行した方でも「心が変わらないといいなあ」と言うことは、今の思いが、変わってしまうと「悟って」いるからではないでしょうか。
○人生という名の試合
・「人生というのは、あなたの思いどおりにならないようにセッティングされています。それをどう克服するか、そこからどう感謝の気持ちを導いてくるか、これが試合の内容です」
試合の相手は誰ですかと問えば、
「それは自分自身です」(P232)
☆人生という名のロールプレイングゲームですね。主人公も自分、試合相手も自分。ある意味最強の敵ですね。
○なぜ苦しみ迷うのか・・・
・心の中で自分自身を都合のいい場所に置き、都合よく事が運ぶように考えて、それが思い通りにならないと、まるで被害者のごとく悩み苦しんでいたわがままな自分がいたように思います。そんな自分に懺悔して、反省という方向に心が動いたとき、迷いや苦しみは、結局自分の心がつくっていたのだと気がつきました。(P258)
☆心に「ぐさっ」ときました。自分に都合がいい事を勝手に考えているから、うまくいかないと「悩み、苦しんで」しまう。
人生は「思い通りにいかない」というルールを悟れば、苦しみを「他人のせい」にする事もなく、解決策を自分から見つけだそうと覚悟できる。(もちろん、苦しみには変わりない)
「人生生涯 小僧の心」というのは、どれだけ年をとっても、日々の生活が「修行」であり、どんな時も心を磨き続ける事ができる。
いや、続けなければならないという決意の表れだと思いました。
ありがとうございます。
実行する事:
今の会社の事務所が15階にあります。運動もかねて、毎日一回は階段で登り降りしながら、この本に書かれていたことを思い出してみる。自分なりの回峰行です。回ビル行?
著者のお寺のHP↓
和田裕美さんが、著者を訪ねた時のブログ記事↓
人生生涯小僧のこころ―大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界
- 作者:
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
○です♪
by エコピーマン (2010-05-01 00:48)