290-18.【読書感想文】プログラマーの視点は、やはり違う!〜「教養としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)」#感想部 [読書感想文]
・プログラミングとは、一言でいえば「自分以外のものを、思い通りに動かす方法」のこと。適切にプログラミングしたものは、たとえば作者が消滅したとしても、作者の意図を反映し、プログラミングした通りに動くことになります。(p5)
・いうならば本書は「プログラマーの視点」を提供するガイドブックなのかもしれません。(p6)
☆「プログラミング」らしきことをしたのは、もう何十年前。親父が買った「NEC PC8001」で、「円」や「線」を描いたことが思い出されます。もちろん、当時は「マウス」なんてありませんでしたから・・・。
今では、しょっちゅう見かける「プログラミング」の画面は、もっと複雑で、カラフルで、何がなにやら・・・。
ますは「教養レベル」から学びたいと思い本書を手に取りました。
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・「プログラムとは何か」という質問に、「手順を正確に記した文章」だと答え、プログラミングは「それを書き記すこと」だと定義しました。(p24)
☆なるほど、確かに演奏会などの「プログラム」なども「進行する手順」を「正確に」記した「文章」ですね!
・「自らが判断を下すのでのはなく、指示に従って動く」という性質がコンピュータに備わっている以上、期待している事象があるのならそれも伝え漏らさず、プログラムに加えなければならないからです。
そして、プログラミングした対象が期待通りの動きをしなければ、それは全て命令を下したプログラマーの責任。あなたがもしプロのプログラマーだったなら、誰かにお使いを頼み、意図したものと違ったものを買ってこられても、そこは黙って「指示を漏らした自分にこそ責任がある」と、自戒しなければなりませんよ。(p56)
☆「プログラミング」を、「子供」や「おとうさん」の「お使い」に例えて説明してくれるのですが、非常にわかりやすい!確かに「あいまい」な指示で困った経験は、誰にでもあります。
だから、メモに書いて、渡して買い物に行ってもらう。「メモ」、これも「プログラム」なんですね。
この、メモした文章を、命令形化、改行、インデント、色づけしていき「プログラムコード」化したものが、あのよく見かける画面になっていく過程がすごい!
プログラムの構造がよく分かるようになりました。
・私の会社では、私がいなくても、私が決めた通りに仕事が進み、社員が働き、利益を生み出しています。つまり、私がプログラミングした組織は、私がいなくてもきちんとまわっているのです。
かつてこういう技能は「経営能力」だとか「仕組みを作る力」だとか、色々な名前をつけて呼ばれていました。しかし、私にとって明確にこれはプログラミング能力、つまり、自分のいなところで、「自分以外のものを自分の思い通りに動かす方法」として身についているものなのです。(p186)
☆読み終えて:人は「間違うもの」という前提に立って、仕事を依頼していく。望む結果を得るために「漏らさず」指示を出す。
ただ、コンピュータと人間の違いは、人間は「失敗」から学べることではないでしょうか?
コンピュータは失敗しても、プログラマーの責任。
人間は、失敗したら、「指示した人」と「実行した人」の両方の責任。互いが「失敗」から、学ぶことができる。
その「失敗」の学びから、同じ場面では自己判断で、失敗を回避することも出来るようになる。
人間という「器」は個体差による能力の「差」が大きい。それを考慮し「変数」を調整して指示を出していくのが、自分以外のものを思い通りに動かす「プログラム」だと捉えれば、経営者はほんとすごいプログラマーですね!
☆この本の各章の間にある「コラム」には、IBMの誕生話、コンピュータの原型や、コンピュータの未来など様々な「小ネタ」が詰まっています。
他にも、人間社会で行われている、「プログラム」的な行動など、読み手に新しい「視点」を与えてくれます。
まあ、実際には先に「人間の行動様式」がありきなんですが、それを機械が再現できるよう「プログラミング」したのは、確かに「人間の叡智」かもしれません。
実行すること:仕事の指示は「プログラミング」だと心得る。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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