243-04.「諦める」の本当の意味とは?〜「思い通りの死に方 (幻冬舎新書)」を読了 #感想部 [読書感想文]
SANY0001 / duck75
(年間50冊の進捗 50冊/365日×53日目(2月22日)ー4冊目=▲3.274冊)#mhks(本)
・誰でも若いころは「長生きしたい」と思いますが、いざ長生きしてみると「こんなはずじゃなかった」と嘆く人が多い。(p11)
☆「いつまでも生きていて欲しい」と思う気持ちと、「いつになったらこの人は・・・」と思う気持ち。正直その場その場で変わる思いはあります。
しかし,それはこちらからの視点。本人はいったいどう思っているのかはわからない。少なくとも自分の番の時には「どうありたいか」を考えるために読んでみました。
・人生を振り返る作業はなるべく早い時期から始めたほうがいいと思いますね。(中略)早く始めたほうが、残された人生が有意義になると思います。(p163)
☆みんな毎日、一生懸命に前を向いて生きている。
時に立ち止まって、来た道を確認する。「やりたいこと」「やりたかったこと」「できたこと」「できなかったこと」を思い起こし、これから「するべきこと」を考える。
そうすることで、「最後」のときに少しでも「悔い」が残らないのでしょうね。
・昔から「死と太陽は見つめられない」という言葉もあります。しかし太陽も、視野の片隅においてチラチラと見るぐらいはできますよね。死も同じこと。死んだことはなくても、いずれ死ぬことは知っているわけですから、視野に入れておくことぐらいはできるでしょう。(p167)
☆人生40年を過ぎると、視界の片隅に少しずつ「人生の最後」というものがチラチラ見えてきました。小さい頃、親族が居なくなっても見えなかったものが、社会で知り合った人が亡くなって行くのを見ると感じるようになってきますね。
・思い通りにならないから苦しいのではありません。その思い通りにならないことを、思い通りにしようとするから、苦しくなる。ですから、楽になりたければ「これは思い通りにならないんだ」と考えて、諦めればいいんですよ。諦めると言うと負けたような印象もありますが、この言葉はもともと何か「明らかにする」という意味。「諦」という文字にも、「真理を観察して明らかにする」という意味があります。何かうまくいかないことがあっても、その理由が明らかになって初めて「しょうがない」と断念できる。(p173)
・この本のタイトルは、「思い通りの死に方」ですが、「死に方」を思い通りにするのは、きわめて困難、否、むしろ思い通りにならないと考えたほうがいいというのが結論です。(p195)
☆道は一つではない。進んできた道が「ダメ」なら、違う道を行く。どんな険しい道でも「思い通り」に行こうとするから苦しんですね。もちろん、苦しくても進まねばならない道もあります。でも「苦しい」だけより、「苦しくても、楽しい」道の方がいいですね。
・「死に方」はそうであっても、死ぬまでの「生き方」は思い通りになるのではないかと思います。死ぬまでの「生き方」が充実していれば、「死に方」がどうであれ、満足できるのではないかと考えます。(p195)
☆読み終えて:人生の最後を、どう「ありたいか」。見守ってくれる人がいるならば「ありがとう」と笑って逝きたいです。
そう出来るためにはどう「生きるのか」。
愛する人が、自分より先に行かないよう、元気でいられるよう、自分が守っていくこと・・・なのだろうか。
先日の東京出張で、偶然手に取ったフリーペーパーに手がかりがあった。
東急グループの「SALUS」に掲載されていたエッセイから
長年、病で苦しんでいた1人の気むずかしい老人を、介護施設が受け入れたが10日あまりで亡くなってしまった。しかし、息子さん夫婦は「(母は)いつも上機嫌でした。お陰さまで、この先母を思い出す時、私たちはきっと笑顔の母を思い浮かべることができるでしょう。この10日間は、10年にも匹敵します」 (連載エッセイ 大人の迷子たち:岩崎俊一)
自分が笑顔で「逝けたら」、周りも自分の最後の「笑顔」を憶えていてくれ、それが故人の思い出になる。
「あの人、いっつも怒ってたな・・・」よりも、「笑顔が良かった」と思い出してもらえる方がいいですから。
なんか、最後まで「気を遣って」いる風なのはイヤですが、心からの笑顔を出せるよう生きたいと思いました。
そのためには、やはり毎日「笑顔」「感謝」を意識して過ごすことではないでしょうか?
普段笑って無い人が、最後だけ「笑顔」なんて、出来ないですからね。
あと、最近「めんどうだな」とサボっている、運動をして。少しでも元気に「老える」ようにしなくちゃ。
実行すること:買ったまま、放置している「エンディングノート」を開いて見る
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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