235-20.人はそれぞれ。可能性はみんなある!〜「 発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)」を読了 #感想部 [読書感想文]
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(年間50冊の進捗 50冊/365日×270日目(9月27日)ー20冊目=▲16.98冊)#mhks(本)
・「発達障害」という水膨れした診断の中には、遺伝要因や器質的要因が強い本来の発達障害と、愛着障害をはじめ、養育・生活環境要因で飽きた二次性発達障害が含まれることになる。(p53−54)
参考:「愛着障害」乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害の総称。愛着障害を示す子供には衝動的・過敏行動的・反抗的・破壊的な行動がみられ、情愛・表現能力・自尊心・相手に対する尊敬心・責任感などが欠如している場合が多い。(コトバンク、デジタル大辞泉より)
・「発達障害」が好まれる理由
・多くの専門家は、養育環境に原因を求めることには抵抗があり、親が責任を感じるような診断は、極力避けたいという気持ちがある。(p57)
☆子供の成長の不調を、親の養育環境ではなく、子供自身に「要因」を求める・・・・。
確かに専門家からすれば、子供を連れてきた親に「あなた方の育て方が・・・」とは言いにくい。
例えば、業績不振の企業の経営陣がコンサルタントに相談に来たときに、「あなたたち経営陣が悪い・・・」とは言いにくいのと同じですね。
でも会社は、責任と自覚をもった「大人」達が運営しているはず。
「子供」には何の自覚もない。ただ生まれてきただけ。
そんな子供を産んでしまった・・という両親の自責の念も一方では生まれているはず・・・。
せつないな。なにか希望はないものか。
・親や家族、共同体との絆がしっかりとした社会では、不利な遺伝子をもっていても、愛着が不安定になることが抑えられることにより、行動上の問題も出にくいと考えられる。(p164)
・一番大事なことは、その子の可能性を信じ、その子の良い面を伸ばすということだと思う。そのためにも、「発達障害」という診断にとらわれず、特性の異なる非定型発達の子どもという視点で、その子を見守ることが重要に思える。(p263)
☆本当に障害があったとしても、周囲の「愛」で人は成長することができるんですね。
専門家の「言葉」にとらわれず、人として当たり前に接することで親も子供も社会も「幸せ」になることはできる!
・責めを逃れ、ツケを子どもたちに回すのではなく、それに向き合い、引き受けることが今求められているのではないだろうか。われわれ大人世代の無責任と怠惰によって、困難な時代を生きることを余儀なくされる子どもたちの未来が、少しでも希望をもったものになることを願って・・。(p264)
☆読み終えて:最後の一文は、「大人世代」「子ども」を色々な立場の関係に置き換える事ができる。
「経営陣」「社員」。「先輩」「後輩」。
無意味に時間を「浪費」せずに、「問題」にしっかりと向き合い、すこしでもより良い状態に向かって「努力」する。
簡単なようで、一番難しい。
「何が」幸せになるための「鍵」なのか?
「専門家」という他人の「耳の痛い」話を「素直」に聞くこと。
今は多くの情報があふれており、中には自分にといって「耳障りのいい情報」もたくさんある。
その時に「ほら、こんな意見もあるやん」と言って飛びつくか。
「そんなうまい話無いわな」とするかは自分次第なんですね。
「良薬、口に苦し」とは、よく言ったもんです。
実行すること:「楽」な方ではなく、苦しいほうを選ぶ
☆もう10月。残り3ヶ月で30冊!1ヶ月10冊、3日で1冊・・・・・。
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